2003/11/01 (土)

Haus Perls
左の部分は1911年のperls邸。建築申請には、ミースではなくF.Goeppelsの名が記されている。当時ミースがペーター・ベーレンスの事務所で働いていたため、知人の名で申請したといわれているが、ゲッペルスがどれだけこの住宅に関わったかは不明。
ミース個人の実作としては、Riehl邸に次ぐ2作目であり、25才の時の作品。一見ミースのイメージにそぐわないこの住宅のスタイルについては、Karl Friedrich Schinkel(1781-1840)の影響を指摘されることが多い(Johnson, Schulz等)。特に、今もベルリンのcharlottenburg 宮殿に立つパビリオンとの類似は明らかである。
施主のHugo Perlsは裕福な弁護士で、同時代の美術への関心が高く、芸術家が集まる家だった。ペールスは後に自身の自叙伝のなかで、偉大なる建築家シンケルについて、青年ミースと語り合ったと述べている。従って、この住宅がシンケルのモチーフを多用しているのは驚くにあたらない。近代絵画を好んだペールスらしく、内部には表現主義のグループ「ブリュッケ」の画家、Max Pechisteinの壁画が描かれていた。

残りの部分は全て1928年に増築されたもの。
その時には既に、perls邸はEduard Fuchs の手に渡っており、増築の注文はFuchs から受けている(つまりフックス邸)。フックスは歴史家であると同時にアートのコレクターでもあり、作品の収蔵と展示の為のスペースを所望したのである。なぜかこのときの図面にもミースの名は無く、「John fuer Mies van der Rohe」というサインがあるという(図版では確認できず)。詳細ははっきりしないままだがこの増築部分もミースの作品とみなされている。 (k.s)

[写真ギャラリーに戻る]