1886年、アーヘンに石工の息子として生まれる。1905年から1907年まで、ブルーノ・パウルの建築事務所に勤務しながら、工芸学校で学ぶ。1908年から12年まで、ペーター・ベーレンスの事務所に勤務し、その後建築家として活動。1922年、ガラスのファサードによる高層建築案を発表。1923年、ハンス・リヒターらと雑誌「G」を出版する。1927年、シュトゥットガルトのヴァイセンホーフでの工作連盟による住宅展を企画する。1929年、バルセロナ万国博覧会でドイツ館を設計する。1930年から33年まで、バウハウスの学長。1938年、シカゴに移住し、1938年から58年までアーモア研究所(後にイリノイ工科大学)の建築学部長となり、大学校舎を設計する。また、シカゴのレイクショア・ドライブ・アパートメントやファンズワース邸、ニューヨークのシーグラムビル、ベルリンの国立近代美術館など、近代の代表的建築物を多く手がけた。1969年、シカゴで死去。

1886.3.27 アーヘン Aachen (独)
1969.8.17 シカゴ Chicago (米)

●学長
在籍期間:1930-33